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『西の善き魔女』


 さて。荻原規子のファンタジーである。世界の隠された前提にSFめいた設定がチラチラするが、基本的に明るい少女マンガ的なノリのショージョしょーせつファンタジーである。全5巻の構成で、中央公論社のC★NOVELSという新書判のノベルス叢書の新シリーズ・FANTASIAとして刊行された。ジャンルとしては、富士見ファンタジア文庫や集英社スーパーファンタジー文庫とかの仲間に分類されると思うが、いかんせんサイズが違うのでノベルスの棚にあって、違和感というか埋もれていてもったいない。

 荻原規子は今まで、日本神話的世界のファンタジー(勾玉三部作)やアラビアンナイト的世界のファンタジー(『これは王国のかぎ』)を書いてきた。元気な女の子が主人公なのはほぼ一貫しているが、これはまたまったく違うタイプの世界が舞台。2,3,5巻や章のタイトルに映画(「薔薇の名前」)や小説(『秘密の花園』『闇の左手』)や音楽(「亡き王女のためのパヴァーヌ」)の題名を冠して、イメージを喚起している。

 今回の主人公・フィリエルは、女王制の国グラールの娘。国の北のはずれセラフィールドの天文台に、天文学者の父とその弟子ルーンと三人で暮らしていた。15歳のフィリエルは、今年から女王生誕祭の舞踏会に出席できる年齢になって、胸を踊らせていた。舞踏会といっても北部地方の伯爵の主催するもの、同じ地域の人々の晴れの社交場でもあり、田舎というより僻地に育った彼女にダンスを申し込む酔狂な者はいなかった。

 ところが父が贈ってくれた亡き母の首飾りのため、フィリエルは伯爵の息子に声をかけられ、ダンスまですることになる。これだけでも夢のような話なのに、伯爵の娘アデイルに、それは女王家の首飾りだと言われ、事態は急転直下。フィリエルは王籍を抹消された元第二王女の娘で、父の研究は実は異端で、彼ら一家は北のはずれに体よく軟禁されていたというのが真相らしかった…。

 グラールの女王制は世襲だが、次代の女王候補(=王女たち)は、別々の有力貴族の養女となり、課題を優秀にこなして真に女王にふさわしいことを証明しなければ指名されない。現に、今上陛下の娘たちは二人とも退けられ、女王の継承は一世代とんでしまっていた。伯爵の娘(養女)アデイルは次代の女王候補のひとりであり、隠された王女とも言えるフィリエルの存在は両刃の剣と言える。

 天文台に戻ったフィリエルは、父が逃亡してしまい、自分(と弟子のルーン)が捨てられたこと、異端審問官から逃れなくてはならないことを知り、途方に暮れる。しかも翌日、盗賊が天文台に侵入し、天文台は散々に荒らされた上、彼女はなんとか隠れて逃れたが、ルーンが誘拐されてしまう。ただでさえ目まぐるしく情勢が変化しているところなのに、フィリエルはまったく行き場を失ってしまう。……

 とまあ、筋だけ追えば結構深刻にもなりそうだが、登場人物たちの性格づけやセリフ回しが遊んでいて、作者が楽しんで書いているのがよくわかる。1巻で笑えるのが、伯爵の息子ユーシスの描き方。たいへんなハンサムで、上流階級の令嬢たちの憧れの的なのに、本人は実は社交が苦手、努力して人付き合いの術を身に付けてきたという設定。難攻不落と言われているが、女心の機微などもちろんわからず、すごい美人でもなかなか顔を覚えられない。その彼が「見覚えがある(実はフィリエルの顔ではなく首飾りなのだが)」と言うのだから、彼をよく知る親友に「落としたハンカチを拾うのと同じくらい典型的なパターン」だと冷やかされてしまう。

 グラール国は女王制だが、実はこの世界の他の国はすべて男が支配している。それでいて、建国神話は、グラールの女王制の崩壊が世界の崩壊だと伝えている。また、女が国を支配し、世界を相手どるにあたって、この国の上流階級の娘たちはすべて、トーラス女子修道院付属学校へ進学する。そこでは、男と渡り合うためのありとあらゆる手管が確立されたメソッドとして伝授され、媚薬とも毒薬ともなる薬草の知識を授ける組織的な教育が施されている。これらの知識は同国人の男性にも門外不出。グラールの女性は、他国へ輿入れし、暗殺することも辞さないのだ。まるでフランク・ハーバート描く『デューン砂の惑星』に出てくる女性教団ベネ・ゲセリットを彷彿とさせる。

 このトーラスでの日々を描いた2巻は、「学園小説」を書きたかったという作者の面目躍如。身分や家柄は伏せて、平等な学生同士という建て前の下にある生徒会役員の権力をふりかざしたいじめ。女学校につきものの、憧れの上級生への手紙攻撃。貴公子と年下の若者との禁じられた恋の小説の密かな流行。そしてこの女学校ならではの、校内での暗殺。

 その他、「白雪姫」「赤頭巾」など古い物語が王侯貴族にしか伝えられず、庶民には禁じられていることの謎、「世界の鍵」とも言われる竜の存在など、作者がはりめぐらせている様々な要素を楽しみつつ浸れれば、疲れも吹っ飛ぶこと請け合いである。



(『ぱろっと通信』No.60 (1999.8.1発行)より転載)