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※なお、ここに掲載した研究発表や講演の概要は、あくまでも筆者個人のメモに基づき、 そのごく一部をまとめたもので、学会の公式の記録ではありません。(2012.12/16)
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講演 子守唄の原像を求めて ―スコットランド・バラ島から京都・竹田まで― 鵜野 祐介 先生(梅花女子大学教授) |
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子守唄の研究をしてみようと思ったのは、大学院のとき『子どもの本の8人―夜明けの
笛吹きたち』(ジョナサン・コット著、晶文社、1988)のオーピー夫妻の章を読んだことがきっかけだった。思い切ってオーピー夫人に手紙を
書いたら、返事が来た! イギリスに来ればアドバイスできるとあり、スコットランドのエディンバラ大に留学し、お会いした。 エディンバラ大では、ヘブディーズ諸島のバラ島で、「バラ島の歌姫」と言われるモラ・マコーレーさんから 口伝えでケルト語の子守唄「Cadal Cha Dean Mi (カトー・ハ・チャー・ミー)」を教わった。この唄の歌詞は、海で亡くなった恋人を待つ という意味。子守唄は、子どもをあやしたり、眠らせたりする唄だという固定概念を打ち砕かれた。また、この子守唄のメロディーが、 「竹田の子守唄」のメロディーとそっくりなのも不思議だった。 ←スコットランドの地図 シェトランド諸島のブレッセイ島の子守唄「Bressay Lullaby」は、厄除けの唄。英訳すると「Go away little fairies」「Then come bonny angels」という歌詞。これはスコットランドに伝わる「チェンジリング」(妖精の取り替え子)の言い伝えと 関係している。愛しい我が子を連れ去るモノノケである妖精を追い払い、天使に加護を求めている。これは赤ちゃんに向けて歌われている のではなく、そのへんにいるモノノケに対して歌っている。 スカイ島に伝わる「Uamh an Oir (Cave of Gold)」は、物語を伝承する唄。スカイ島の洞窟へ、怪物に守られた金 を探しに行った探検隊は、バグパイプ吹きも連れて行った。あるとき、井戸の底からバグパイプとともに「私に手が三本あったら、剣で 怪物と戦えたのに」という歌が聞こえてきて、次第に消えていき、探検隊は戻らなかった、という内容。これは、赤ちゃんに歌っていると いうより、その周りにいる兄、姉たちに向けて歌われているものと思う。 エディンバラなど東海岸に伝わる子守唄「O Can Ye Sew Cushions?」のリフレインでは、 子だくさんの母親が、「人生は暗黒だ。私はあなたたちに何をしてあげられるだろう? あなたたちは多すぎる。あげられるものはない。」 と嘆いている。これも赤ちゃんに向けて歌われているものではない。この子守唄の二番は、オーピー夫妻編著『The Oxford Dictionary of Nursery Rhymes』の「Hush-a-bye baby」の項に類歌として出ている。 また、「Beloved Gregor」という子守唄は、海で亡くなった夫の魂に呼びかける歌詞。弔い唄がなぜ何百年も、 子守唄として歌い継がれてきたのか。子守唄は、いわばあの世からこの世へ来たばかりの魂である赤ちゃんに向けて歌う。弔い唄は、 この世からあの世へ旅立った魂に向けて歌う。世を越えた魂に向けて歌うところに共通するものがあるように思う。 |
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現在、流布している「竹田の子守唄」は、採録者の尾上和彦がメロディーの補作をしている。このメロディーは、
後半に盛り上がりがある。元の「竹田の子守唄」の伝統的メロディーは、一般の日本民謡と同じく前半に盛り上がりがある。実は、尾上和彦
が補作するとき頭にあったのが「ダニーボーイ」のメロディーだったという。「ダニーボーイ」はアイルランド民謡なので、スコット
ランドのメロディーと共通点がある。日英の子守唄を調べていくと、意外なところでつながりや共通する概念が見いだせる。 ※ところどころで、先生の後について、私たちもケルトの子守唄や日本の子守唄を歌いました♪ |
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←ジョナサン・コット著『子どもの本の8人―夜明けの笛吹きたち』原書
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関西支部より ―チャップブックを作ってみましょう!― 8ページ仕立てのヨークのチャップブック「The History of Simple Simon」を、折って、切って作りました。 |