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コルチェスター コールの王様 Old King Cole Was a merry soul, And merry old soul was he; He called for his pipe, And he called for his bowl, And he called for his fiddlers three. |
老いたるコール王は 陽気な御仁 本当に陽気な人だった パイプを持ってこさせ 酒杯持ってこさせ 三人のフィドル弾きをお召しになった 訳・フィドル猫 |
そもそも、このコルチェスターという町の名前の由来が「コールの砦」という意味。
ここに残っている大きな土塁は、ローマ人の円形劇場跡とされ、「コール王の調理場 King Coel's Kitchen」
と呼ばれているという。 参考文献・『マザー・グースの英国』藤野紀男著、朝日イブニングニュース社、 1985 p.71 及び ・『マザー・グースの誕生』鈴木一博著、教養文庫、1986 p.33 |
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コルチェスター城。 | |
ハンプティ・ダンプティ
Humpty Dumpty sat on a wall; Humpty Dumpty had a great fall; All the king's horses and all the kIng's men, Couldn't put Humpty together again. |
ハンプティ・ダンプティが壁の上、 ハンプティ・ダンプティがすつてんどう。 王の兵馬を繰出すとても もとにやかへせぬ、ハンプティ・ダンプティを。 訳・竹友藻風 |
元は答えが「卵」の謎々唄。壊れたら元に戻らないことの比喩として使われる。
この聖マリア教会の塔の大砲は、内乱 (Civil War 1642〜1648) の時、立てこもった王党派が
包囲陣に対して据えたもの。議会派の攻撃で崩れ落ちて元に戻らなかったそうだ。 参考文献・『マザー・グースをたずねて』鷲津名都江著、筑摩書房、1996 p.42 |
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「Humpty Dumpty」という大砲が据えられていたという、聖マリア教会(St. Mary-at-the-Wall) の塔。 | |
きらきら星
Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are! Up above the world so high, Like a diamond in the sky. Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are! |
ちろり、ちろりと、いささ星、 おまへは一體何だらう、 上の世界に高く照る、 金剛石(ダイヤモンド)か、大空の。 訳・竹友藻風 |
この唄の作詩者は、アメリカの女流詩人ジェイン・テイラー (1738〜1824) 。作者がわかっているが、マザー・グースの唄の仲間入りをしている。1806年発行の『子ども部屋のための歌 (Rhymes for the Nursery) 』という詩集の中で「The Star」という題で発表された、5連の詩の第1連。ジェイン・テイラーは、父親の仕事の関係でコルチェスターに住んだこともあるが、この詩を書いたのは、ラヴェナムに住んでいた23歳の時。(→下線部分間違い。正しくは、以下の通り。お詫びします。)ジェイン・テイラーがこの詩を書いたのは、コルチェスターに住んでいた23歳の時。 参考文献・『知っておきたいマザー・グース』Part2 藤野紀男著、三友社出版、1983 p.42 及び ・『対訳英国童謡集』河野一郎編訳、岩波文庫、1998 p.334 及び ・関東支部例会2007.3/15資料より |
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ジェインと姉アン・テイラーが、1796-1811年この家に住んでいた。と書かれている、プレート。 | |
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ラヴェナム 曲がった家 There was a crooked man who walked a crooked mile, He found a crooked sixpence upon a crooked stile, He bought a crooked cat, which caught a crooked mouse, And they all lived together in a little crooked house. |
曲りくねった男があった。 曲りくねった道を歩いて、 曲りくねった梯子段の前で 曲りくねった銀貨をひろって 曲りくねった帽子(ママ)を買って、 曲りくねった鼠をつかまえて 曲りくねった小さな家(うち)に いっしょに住んでいたんだとさ。 訳・水谷まさる |
「crooked [krukit]」を何と日本語に訳すかは、いろいろな試みがある。谷川俊太郎は、「ひねくれ」と訳し、北原白秋は「背骨まがり」とした。竹久夢二は「つむじまがり」、竹友藻風は「曲がった」、水谷まさるは「曲りくねった」、野上彰も「まがりくねった」、寺山修司は「いびつな」、岸田理生は「ねじれた」、和田誠は「まがまが」、平野敬一の訳は見つからなかったが、わが会の藤野会長は「ねじれた」である。 参考文献・川崎洋「マザー・グースを読む」(『現代詩手帖』増頁特集●マザー・グース 狂気の伝承 第19巻第3号、1976年3月 pp.47-48 他) 実はイギリスには、「crooked house」がたくさんあり、1687年に建てられたウィンザーの喫茶店「The Crooked House of Winsor」や、Himleyにある「The Glynne Armes」というパブ、通称「The Crooked House」などなど、みなしっかり「傾いて」いる。今回訪れる「The Crooked House Gallery」は、1425年に建てられたそうで、そんなに古ければ傾いても無理はないなあと思う反面、イギリスは地震がないんだなあとも思ったことだった。 参考文献・関東支部例会2007.6/3資料より |
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「The Crooked House Gallery」(中央の建物)。本当は坂道の途中(左から右へ上っている)に建っていて、この写真は道と水平に撮影したので、実際にはもっと傾いて見える。今は民芸品の店だというので、行ってみたら、ちょうど1時から2時のお昼休みで開いてなかった。残念! | |
イーリー イーリー大聖堂 Merrily sang the monks of Ely, As King Canute came rowing by. "Row to the shore, knights," said the King, "And let us hear these churchmen sing." |
イーリーの坊さんがたは、楽しげに歌う カヌート王が船で近くを通りかかり、 「岸辺に漕ぎ寄せろ」と騎士に命じた。 「坊さんたちが歌うのを聴こうじゃないか」 訳・フィドル猫 |
この唄に出てくるカヌート王(在位1016〜1035)は、実在したイギリスの王で、デンマークの王の次男で、イギリスのエセルレッド二世(在位979〜1016)を倒して王位につき、デーン朝を開いた。キリスト教に改宗し、聖職者を大事にしたという。この唄ではイーリー修道院は、カヌート王に庇護された教会として出てくるが、他の伝説では、イーリーの修道僧は飲んだくれの堕落者ばかりで、聖ダンスタンがウナギに変えて退治したとも言われる。17世紀以前は、イーリーは沼地で、この地名はウナギ(eel)から付いたそうだ。 参考文献・『マザー・グースの英国』藤野紀男著、朝日イブニングニュース社、1985 pp.14-15 及び ・『マザー・グースの誕生』鈴木一博著、教養文庫、1986 pp.55-57 |
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イーリー修道院跡に建てられたイーリー大聖堂内の「聖ダンスタン礼拝堂」。「個人の礼拝に使っていただけます」と日本語のパンフレットにあった。入口左のプレートには、「St. Dunstan (909-988)」とあったので、『マザー・グースの誕生』記載の生年と一致している。 | |
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セント・アイブズ セント・アイブズへ行く途中 As I was going to St. Ives, I met a man with seven wives, Each wife had seven sacks, Each sack had seven cats, Each cat had seven kits, Kits, cats, sacks, and wives, How many were there going to St. Ives? |
セント・イブへと私(わし)がお参りする時に、 私(わし)が逢つたは男一人にお神(かみ)さんが七人、 そのどのお神(かみ)さんも、嚢(ふくろ)を七つ、 そのどの嚢(ふくろ)にも猫奴(め)が七つ、 そのどの猫にも小猫が七つ。 セント・イブへとお参りするのが、 さてさて、何人何匹何嚢(ぶくろ)。 訳・北原白秋 |
この唄は謎々だが、答えは「一人」。それにしてもこの人は、何をしにセント・アイブズへ行くのだろう? それにセント・アイブズ方面から来た男は、なんでまた奥さんを七人も連れているのだろう? まあ、「アイブズ」と脚韻を踏まないといけないから、という、非常にマザー・グース的な理由だろうけど。お昼を食べる予定のパブ「The Seven Wives」は、もちろん、この唄から命名されているのは明らかだ。面白い看板があるといいな。 実はイギリスにはセント・アイブズという町がふたつある。イングランド南西の端、コーンウォール州とケンブリッジ州だ。コーンウォールのセント・アイブズは元漁港で、ケンブッリジのは市場町だそうだ。両方訪ねた鷲津名都江さんは、ケンブリッジの方ではないか、と書いている。今回、私たちが行くのもそちら。 参考文献・『マザー・グースをたずねて』鷲津名都江著、筑摩書房、1996 p.51 |
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左の写真は、橋の真ん中に礼拝堂があるチャペル・ブリッジ。 右の、セント・アイブズの唄が印刷されている絵葉書は、この橋をイラストにしている。 |
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左は、お昼を食べたパブ「The Seven Wives」のパブサイン。 右は、「The Seven Wives」のランチマット。ローストビーフとヨークシャープディングに、ゆですぎ野菜の「イギリスの食事」でした。 |
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バンベリー 木馬でバンベリクロスへ Ride a cockhorse to Banbury Cross To see what Tommy can buy; A penny white loaf, A penny white cake, And a two-penny apple pie. |
木馬でバンベリクロスへ行こう トミーが何を買えるのか見よう 1ペニーの白いパン、 1ペニーの白いケーキ、 それに2ペニーのアップルパイ 訳・フィドル猫 |
この唄に出てくる、バンベリーの「白いケーキ」というのが、バンベリー・ケーキ。パイなのに、白く焼いてあるのが特徴。干しぶどうやオレンジピール、スパイスなどをパイ皮に包んで、泡立てた卵白をぬって焼いたリーフパイ。「バンベリー・タルト」というのもあるらしい。こちらは干しスグリや干しぶどうを詰めたレモン風味の小型パイと言う。昨年のマザーグース学会の大会では、イギリスから取り寄せたこのリーフパイの方を一口ずつ味わった。『イギリスのお菓子』には、バンベリーのどのパン屋にも置いてあると書いてあるが、写真に写っている「Banburry Cross Tea Rooms」は今はもうないそうだ。残念! 参考文献・『イギリスのお菓子』北野佐久子著、CBSソニー出版、1989 p.8-11 及び ・『マザー・グースの英国』藤野紀男著、朝日イブニングニュース社、1985 pp.147-148 バンベリー・クロスのクロスとは、町の広場に建つ大十字架のことで、唄に出てくるクロスはピューリタン革命の時こわされて、今あるのは1858年に再建されたものだそうだ。 参考文献・『マザー・グースをたずねて』鷲津名都江著、筑摩書房、1996 p.95 及び ・『マザー・グースの誕生』鈴木一博著、教養文庫、1986 pp.120-121 |
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左は、手前に逆光の「fine lady」の像、向こうにバンベリー・クロス (肝心の十字架が写っていない!) を臨む。 右は、パブ「Banbury Cross」のパブサイン。 |
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またしても、写真を撮る前に、買ってきたバンベリー・ケーキを食べてしまったので、お見せできません。(^^;) たしか三個で3ポンド50ペンス。 右は、観光案内所にて50ペンスで入手した「The Rhyme of Banbury Cross」というパンフレット。「fine lady」のモデルは、近郊のグロートン城の令嬢シーラ・ファインズだという、地元で信じられている説が書いてある。 |
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ストウ・オン・ザ・ウォルド ひと休み At Brill on the hill The wind blows shrill, The cook no meat can dress; At Stow-on-the-Wold The wind blows cold, − I know no more than this. |
丘の上のブリルでは 風が鋭く吹いていて、 コックは肉もさばけない。 ストウ・オン・ザ・ウォルドでは 風が冷たく吹いていて− 知っているのは、それだけさ。 訳・フィドル猫 |
帰国して、また『マザー・グースの英国』を復習していたら、トイレ休憩したコッツウォルズ地方の町の名が目に入りました。おやおや! 「エールズベリとオックスフォードとの中程にブリルという村がある。―(中略)―そして、このストウはグロスターシャー州にあるストウ・オン・ザ・ウォルドだといって間違いなさそうだ。」(参考文献参照) 参考文献・『マザー・グースの英国』藤野紀男著、朝日イブニングニュース社、1985 p.145 |
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コッツウォルズはイギリスで最も風光明媚な土地と言われているが、あいにく、 マザー・グースの唄と関係していると思わなかったので、私たちの乗っていたバスの写真でごめんなさい。 | |
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グロースター フォスター先生 Doctor Foster went to Gloucester In a shower of rain; He stepped in a puddle, Right up to his middle, And never went there again. |
藪医者のフォスタアサン、 グロォスタアへ行つて、 驟(にはか)雨に遇(あ)つて、 水たまりに立往生して、 お臍(へそ)の上まで水びたり。 それから二度とはよう行かぬ。 訳・北原白秋 |
グロースターというと、ビアトリクス・ポターの『グロースターの仕たて屋』が思い出されるが、マザー・グースでは、こちらの唄。名前のフォスターと韻を踏むからグロースターへ行ったのか、グロースターが水たまりの名所(!?)で、医者の名前がフォスターになったのか。竹久夢二は「おしのび」と題して「殿様が田舎へいったらば」と訳しているが、言葉の音の遊びはない。白秋が「巻末に」で、音韻上のかけことばとして「お医者さまの西庵さんが埼玉へいって」と書いている方が名訳だと思う。 参考文献・『マザー・グースの英国』藤野紀男著、朝日イブニング ニュース社、1985 pp.168-169 |
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左は、グロスター大聖堂。ここでは雨に降られた。水たまりの名所かも! 右は、『グロースターの仕たて屋』の本の中で仕立屋の店がある場所にある、ビアトリクス・ポター・ショップ。ショップの奥や二階は、仕立屋の家の台所や、仕立屋が仕立てていた、市長さんの婚礼用のチョッキの実物見本などが展示されていた。 |
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キルマースドン ジャックとジル Jack and Jill Went up the hill, To fetch a pail of water; Jack fell down, And broke his crown, And Jill came tumbling after. |
ジャックとジル、 丘へ行つた、 桶に一杯水汲みに。 ジャックが倒れて あたまを破(わ)つた ジルがあとからころんで來た。 訳・竹友藻風 |
そもそも丘の上に井戸があるのがオカしい、水は谷を流れているはずでは…という固いことは言わず、スコットランドでは山頂に湖があるとか。ジャックが「broke」した「crown」を「王冠」と解釈した例もあるが、ここでは素直に「頭頂」と考えよう。 それにしても、どうして「ジャックとジルの井戸」がキルマースドンにあるのか。まあ、どこでもいいようなものだが、こうやって見に行く物好きもいるのだから、やはり観光のために作られたのだろう。確か、いつだかの会報に、きれいに作り直されて、看板も立っている、という記事が出ていた。 参考文献・『マザー・グースの誕生』鈴木一博著、教養文庫、1986 pp.68-70 |
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坂道の途中にある道標。1."Jack and Jill" (藤野資料より) 2."Went up the hill" (写真なし) 3."To fetch a pail of water" |
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4."Jack fell down" 5."And broke his crown" 6."And Jill came tumbling after. " |
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ジャックとジルが汲みに来たという井戸の復元。私立小学校の敷地にあり、改装工事中の校舎の屋根の風見も「ジャックとジル」。 | |
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メルズ ジャック・ホーナーくん Little Jack Horner Sat in a corner, Eating a Christmas pie; He put in him thumb, And pulled out a plum, And said, What a good boy am I! |
ジャック・ホーナーくん すみっこにすわったよ クリスマス・パイをたべながら 親指つっこんだのさ あらら、プラムを見つけちゃった 「よくやった!」って言ったのさ 訳・フィドル猫 |
ヘンリー八世に、グラストンベリー大修道院長が賄賂として贈った、12の荘園の不動産権利書をしこんだパイを運んだのが、財産管理人のホーナーだった。途中でひとつ抜き取ったのが、今でも子孫が住んでいる(!)メルズだったと言われている。尤も、子孫の人たちによれば、ホーナー家は正当にメルズを手に入れたのだということだが、真相はどうあれ、山を上ったり下ったりしているヨーク公や、斧をふるったというリジー・ボーデンと同じく、伝承童謡の力にはかなわない。
参考文献・『マザー・グースの英国』藤野紀男著、朝日イブニングニュース社、1985 pp.42-43 |
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隣の敷地の塀越しに見えるホーナー屋敷 牧草地の斜面から見下ろしたホーナー屋敷 |
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グラストンベリー 聖ダンスタン St. Dunstan, as the story goes, Once pulled the devil by his nose, With red hot tongs, which made him roar, That could be heard ten miles or more. |
聖ダンスタンは、語られているように、 あるとき悪魔の鼻を、真っ赤な火箸で ひっぱって、悪魔はわめきたてたとさ その声は10マイル以上ひびいたという 訳・フィドル猫 |
イーリーの所に出てきた聖ダンスタン(925〜988)は実在の人物で、グラストンベリーに生まれ育ち、グラストンベリー修道院長になった。生年は『マザー・グースの誕生』では909年。最後はカンタベリーの大主教にまでのぼりつめたが、一時、宮廷から追放され、鍛冶屋のような隠遁生活を送っていた。その時、悪魔が乙女の姿で誘惑に来たが、乙女の足がひづめだったので、火箸で鼻をひねりあげたというエピソードがこの唄になった。 参考文献・『マザー・グースの英国』藤野紀男著、朝日イブニングニュース社、1985 pp.79-81 及び ・『マザー・グースの誕生』鈴木一博著、教養文庫、1986 pp.51-53 |
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グラストンベリー修道院内の「聖ダンスタン礼拝堂跡」という立て札 | |
アーサー王がこの国を
When good King Arthur ruled this land, He was a goodly King; He stole three pecks of barley-mael To make a bag-pudding. |
アァサァ王の御治世ぢや、 アァサァ王はよい方で、 挽割麦(ひきわり)三斤盗(ぬゥす)んで 袋形(ふくろなり)のプッジングをこさへよか。 訳・北原白秋 |
マザー・グースの中のアーサー王は、「アーサー王と円卓の騎士」など数々の伝説の中より親しみ深い。ブリテン島に襲来するサクソン人をたびたび撃退したブリトン人の王、ということだが、「よい方」と言った舌の根もかわかないうちに、「盗み」を働いたりする。この時代は、王でもプディングくらい作ったのだろうか? 今のお菓子のプリンとは違い、もっと粗っぽい料理と思うが、野戦食になるのかな? そもそも5世紀頃にバッグプディングというものはあったのだろうか?
参考文献・『マザー・グースの誕生』鈴木一博著、教養文庫、1986 pp.39-46 及び ・『マザー・グースをたずねて』鷲津名都江著、筑摩書房、1996 p.91 |
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グラストンベリー修道院内の「アーサー王の墓」 | |
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ヤムタン ハバードおばさん Old Mother Hubbard Went to the cupboard, To fetch her poor dog a bone; But when she got there The cupboard bare And so poor dog had none. |
ハッバードのおばあさんが 犬に骨でもやりましょと 戸棚さがせば中はから 哀れや犬はおもらいがない。 訳・水谷まさる |
ヤムタンの「ハバードおばさんの家」は、鷲津さんによれば、築400年以上の葦葺き屋根の家で、「空っぽの戸棚もありますよ!」と表示が出ているそうだ。今は、オーナーが替わって、なぜか中華レストラン(!)で、夜だけの営業だそうだが、藤野会長の手紙によれば、予約がとれたとのこと! どんな料理が出てくるかな? 参考文献・『マザー・グースをたずねて』鷲津名都江著、筑摩書房、1996 p.94 |
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左は、かやぶき屋根のお店全景。屋根の上に小さな犬! 右は、看板。 料理はやっぱり中華で、春巻きなんかは普通だったけどあとは…う〜ん。 イギリス風なんでしょうか。オーナーの奥さんのシンガポール(マレーは間違い)風なんでしょうか。 |
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左は、女子トイレのドア。 右は、男子トイレのドア。 「空っぽの戸棚」は見るのを忘れました! |
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プリマス ジャックのたてた家 This is the farmer sowing his corn, That kept the cock that crow'd in the morn, That waked the priest all shaven and shorn, That married the man all tatter'd and torn, That kissed the maiden all forlorn, That milk'd the cow with the crumpled horn, That tossed the dog, That worried the cat, That kill'd the rat, That ate the mait, That lay in the house that Jack built. |
これはジャックの造つた 家の中にあつた 麦麹(もやし)を食べた 鼠を殺した 猫を苦しめた 犬を曲がつた角で 突き上げた牝牛の 乳を絞つた侘びしい女を 接吻(キス)したぼろをきた男を 結婚させたくりくり坊主の僧さまに 朝、目を覚まさせた 鶏 を養つた 穀物を蒔いた 百姓だ。 訳・竹友藻風 |
「積み上げ唄」の典型。関係代名詞「that」でどんどんつないでいく手法は、日本語にはない技。文法的に意味が通るように訳すと、英語と詩句のフレーズがすっかり逆になってしまう。このような構文の違いは、きっとものの考え方、文化の違いにつながっているのだろう。 プリマスには、この唄の看板を出している建物がある。アンティークや工芸品を扱っているお店の雑居ビルなのだが、いろいろな店を「ジャックのたてた家」という名称で束ねて統一感を演出している。 参考文献・『マザー・グースをたずねて』鷲津名都江著、筑摩書房、1996 p. |
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左は、建物の入り口。ウィンドウには「ジャックのたてた家」の絵本らしきものも。時間が早くて、まだ開いてませんでした。 右は、ビルの壁面の看板。 |
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エクセター エクセターのおばあさん There dwelt an Old Woman at Exceter, When visitors came it sore vexed her, So for fear they should eat, She look'd up all the meat; This stingy Old Woman at Exceter. |
エクセターに住んでたお婆さん お客が来るのがわずらわしい それもお客が食べてしまうのを恐れて お肉をしまい込み鍵かけた エクセターのしみったれお婆さん 訳・フィドル猫 |
元は、ジョン・ハリスが1821年に発行した『16人のすてきなお婆さんの話』というリメリックの本に出ていた唄。リメリックなので、1, 2, 5行目が脚韻を踏み、3, 4行目が別の脚韻を踏む。1行目と5行目は繰り返しで韻を踏めるが、2行目が工夫のしどころ。他のお婆さんを見ると、「フランス」から来たお婆さんは「ダンス」を教え、「ハロウ」のお婆さんは一輪手押し車(Wheel barrow)に乗っていく。というわけで、「エクセター」のお婆さんは押韻の必要から、いらいらして(vexed)いなければならなかったのだ。 参考文献・『マザー・グースの英国』藤野紀男著、朝日イブニングニュース社、1985 pp.161-162 及び ・『16人のすてきなおばあさんの物語』(復刻マザーグースの世界Part2)ほるぷ出版、1995 p.7 |
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ネコとフィドル
Hey, diddle, diddle, The cat and the fiddle, The cow jumped over the moon, The little dog larghed To see such a sport, The dish ran away with the spoon. |
ヘイ、ディドル、 ネコにフィドル、 牝牛が月をジャンプしたのを 小さな犬が見て笑ったよ お皿がおさじと逃げたって 訳・フィドル猫 |
藤野会長によれば、マザー・グースの詩句を店名にしているパブのベスト1が「キャット・アンド・フィドル」だそうだ。『図説マザーグース』には、「Cat and Fiddle」の看板が六つも出ている。ただ、店名が変更されることもしばしばで、ハンプシャー州のヒントン・アドミラルにあった「キャット・アンド・フィドル」も駅から近く、結構大きな店だったのに見つからなくなったと残念そうに書かれている。今回の「旅のしおり」の表紙の地図にも「ヒントン・アドミラル」の地名が出ているので、店があったら、エクセターではなく、こちらのパブで昼食だったのかもしれない。今はなきこのパブの看板は、鷲津さんの本で見ることができる。 参考文献・『図説マザーグース』藤野紀男著、河出書房新社、2007 pp.98-99 及び ・『マザー・グースをたずねて』鷲津名都江著、筑摩書房、1996 p.12 |
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左:「Cat & Fiddle Inn」のパブサイン。 右:道路際の看板。すぐ近くを車がビュンビュン走っていく、道路際にある店でした。 広い駐車場がありました。 |
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左:デザート・メニュー。 中:プレイ・ルームの壁。子連れで食事できる禁煙ルームや、おもちゃや積み木のような物が置いてある別室がある、広いお店でした。 右:カーテン。 |
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ウィンチェスター 聖スゥィジン St. Swithin's day, if thou dost rain, For forty days it will remain; St. Swithin's day, if thou be fair, For forty days t'will rain na mair. |
聖スゥィジンの日に雨ふらば それから四十日ふるだろう 聖スゥィジンの日に晴たれば それから四十日ふられまい 訳・フィドル猫 |
聖スゥィジンは、他のマザー・グースの唄の登場人物とは違って、実在の人物。862年7月15日になくなったが、生前はウィンチェスターの主教をつとめ、多くの奇跡をおこしたとされる。最大の奇跡がこの唄に歌われているもので、遺言に反して、死後にお墓を移転しようとしたところ、豪雨が40日も降り続いたということである。 参考文献・『マザー・グースの誕生』鈴木一博著、教養文庫、1986 pp.47-49 |
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左は、ウィンチェスター大聖堂構内の、聖スゥィジンの墓があった場所。 右は、聖堂内に移された、聖スゥィジンの墓がかつてあった所を示す霊廟。案内板には、「聖スゥィジンは852-862年ウィンチェスターの主教。ハイ・アルターの後ろにあった墓をここに移したが、1538年破壊された。」とある。 |
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左は、ウィンチェスター大聖堂内の、聖スゥィジン像のレプリカ。本物は、屋根のてっぺんに。 右は、同じ市内のグレート・ホール内の「アーサー王の円卓」。炭素年代測定で、もちろん後世のものと判明している。この色を塗り中央にチューダー・ローズを描かせたのは、ヘンリー八世らしい。 |
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ロンドン マフィン・マン Do you know the Muffin Man, The Muffin Man, the Muffin Man, Do you know the Muffin Man, Who lives in Drury Lane? |
マフィン売りを知ってるかい? 知ってるかい? 知ってるかい? マフィン売りを知ってるかい? ドゥルリー・レーンに住んでいる 訳・フィドル猫 |
旅行前に購入した『るるぶロンドン』のティールーム紹介欄で、ホテルのすぐ近くに「The Muffin Man」というお店があるのは知っていて、何とか食べに行きたいと思っていましたが、ついに、最終日のお昼を食べることができました。今度来るときがあったら、「ハイティー」を食べてみたいと思います。 参考文献・『マザー・グースをくちずさんで』鷲津名都江監修・文、岩崎美術社、1995 p.64 |
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「シアターロイヤル・ドゥルリー・レーン」。 ドゥルリー・レーン表示板。 |
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ホテルの近くのティールーム「The Muffin Man」。 お昼に食べた「マフィンマン・スペシャル・サンド」。 |
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パンチとジュディ
Punch and Judy Fought for a pie; Punch gave Judy A knock in her eye. |
パンチとジュディが パイを争い、 パンチがジュディの アイ(眼)打(ぶ)つた。 訳・竹友藻風 |
人形芝居から生まれた唄。元はイタリアから来たもの。鷲津さんの本によれば、この人形劇はコヴェントガーデンで初演されたという。行ったときには、いろいろな大道芸が行われていた。観客に自分を鎖で縛らせたり、自転車を頭に乗せたまま歩いたり寝そべったり…。 参考文献・『マザー・グースをたずねて』鷲津名都江著、筑摩書房、1996 p.55 |
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コヴェントガーデンのショッピング・モール。「パンチとジュディ」という字が見える。 地下一階の「パンチとジュディ」というお店。創立1787年とある。 |
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オレンジとレモン
Oranges and lemons, Say the bells of St. Clement's, … Halfpence and farthings, Say the bells of St. Martin's … |
オレンジとレモン と鐘を鳴らすよ 聖クレメント … 半ペンスとファージング と鐘を鳴らすよ 聖マーティン 訳・フィドル猫 |
ロンドンの自由行動で、やってみたかったのは、「オレンジとレモン」の教会めぐり。でも方向音痴の上、場所も、ましてや駅名も調べてこなかったので、高望みせずに確実に行けそうな所に絞り、聖クレメント・デーン教会に狙いを定めた。藤野会長から、以前に絵葉書をお土産にもらったし、3時には、この唄がオルゴールで流れるはずだったから。行く途中に、聖マーティン教会もあることがわかったので、ここにも寄ることにした。地下一階に学食みたいな食堂があり、ハンバーガーのような豪快なサンドイッチでお昼ごはん。 参考文献・『マザー・グースをくちずさんで』鷲津名都江監修・文、岩崎美術社、1995 pp.66-67 |
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左は、聖クレメント教会 (St. Clement Danes Church)。「オレンジとレモン」のメロディーが流れるはずでしたが、「故障中」(!)とのこと。ガッカリ…。 もう一ヵ所、ロンドン橋近くのイーストチープにあるSt. Clement's Churchと本家を主張し合っている。 右は、聖マーティン教会 (St. Martin-in-the-field Church)。もう一ヵ所、セント・ポール大聖堂の近くにあるSt. Martin's Churchと2説ある。 |
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左は、バッキンガム宮殿の入口を警護する衛兵。 最終日(8/27)が木曜日で、衛兵の交替がある日だったので、見に行った。 右は、交替のため行進してくる軍楽隊。この赤い服で黒い帽子は、軍楽隊だけだった。 |