HOME MG Book Soccer Propile




やっぱりワールド・ユースの銀メダル


 素晴らしい週末だった。1999年4/25日曜日は未明から夜まで、サッカーづくめ。U20日本代表がワールド・ユース選手権で初の決勝進出し、準優勝(内容は今一つだが)。イタリアでは、中田のペルージャがアウェーで久しぶりに引分け、勝点獲得。国内では、Jリーグ2部で川崎フロンターレが大宮アルディージャに勝ち、JFLでは(フリューゲルスのサポーターが作った)横浜FCが初戦引分け、あの横浜国際競技場(7万人収容)を1万人以上の観客で埋めた。

vs. カメルーン (E組・予選リーグ1回戦、1999.4/5) 1−2
 組分けを見たとき1位通過は難しいと感じたのは、ひとつにはW杯アメリカ大会でアフリカ旋風を起こしたこの国と一緒だったから。もし「1勝1分1敗」をめざすなら少なくとも引分けなくては危ない。先制した上、小野へのマークもなく、パスもよくつながるのに負けてしまった。気温36度が不利だったか。この時はお先真っ暗だと感じた。

vs. アメリカ (予選リーグ2回戦、1999.4/8) 3−1
 大会前、唯一確実に勝てそうだと思った相手。しかし、E組最強と思われるイングランドを破ってきたのは要警戒。やはり小野へのプレスがたいしてなく、オウンゴールで先制した時は幸先のよさを感じた。日系4世の小柄なフタガキにロングシュートを決められ、1点差になったが、離日前、不安視されていた急造ディフェンスが踏ん張る。

vs. イングランド (予選リーグ3回戦、1999.4/11) 2−0
 なんとE組最強と思われたイングランドが連敗で最下位。明らかに戦意喪失していた。聞くところではプレミアリーグを優先し、優秀な選手が出ていないとのこと。日本チーム唯一の大学生・石川がフリーキックを直接決め、トルシエ監督に飛びつく。う〜ん、トルシエは選手には慕われているのか。無失点で、まさかの予選E組1位通過。

vs. ポルトガル (決勝トーナメント1回戦、1999.4/15) 1−1(PK5−4)
 強そうな相手だが、ここで勝たねば前回並の成績すら届かない。ケガの稲本の代役・遠藤のミドルシュートで先制するも、GKの骨折で1人減ったポルトガルの猛攻でついに同点。が、急造と思えないDFとGK南の守備、PKの時「ひとつ止めれば勝てると思った」というファイン セーブと日本の正確な度胸のよいキックでベスト8をもぎ取る。

vs. メキシコ (準々決勝、1999.4/18) 2−0
 もっと手強いかと思っていたが、開始4分の先制点で、すっかり日本ペース。さすがにまともに小野にプレスをかけてくるが、日本には本山もいるし小笠原もいる。今回、本来ボランチの酒井を右アウトサイド、元々小野とポジションの重なる本山を左アウトサイドにしたのが功を奏し、若い世代の能力の高さを感じる。これで初のベスト4!

vs. ウルグアイ (準決勝、1999.4/21) 2−1
 好調・高原の先制ゴールの直後にFKで追いつかれる。セットプレーに弱いのがやはり急造DFの弱味か。しかし、永井の初得点で再びリード! 後半は守備固めか稲本を投入するもチームのバランスが崩れ、危うい場面の連続。ロスタイムは4分のはずが6分にも。主審はアジアに勝たせたくないのか。それでもまさかまさかの決勝進出!!

vs. スペイン (決勝、1999.4/24) 0−4
 今までは放映時間と出勤の兼合いで録画を見ていたが、さすがに決勝は寝ずに見た。開始5分に、GK南のオーバーステップのファールを取られ、FKで失点したのが痛かった。小野を出場停止で欠いたのが、どのくらい影響があったかはわからないが、 (1) 意外性 (2) 精神的支柱 (3) タメを作って緩急をつける能力は、やはり抜きんでていた。スペインとはもう一度、ベストメンバー、良いコンディションでやらせてみたい。もう少し太刀打ちできると思うし、少なくとも1点は取れる のでは、と充分に期待できる。

 さて、ワールド・ユース(2年に1回)では3回連続好成績をあげた日本だが、この後、若手が国内で順調に伸びているとは言い難い。

・1992年ジュニアユース(U17) →1995年ユース(U20) →1996年アトランタ五輪(U23)
 未だ記憶に生々しい、ブラジルに勝った世代だが、出世頭の中田はともかく、キャプテンだった前園はブラジルのゴイアスでくすぶっているし、DFの松田などなかなかマリノスの先発に定着できないし、ブラジル戦で得点した伊東(輝)やジュビロの服部・田中誠・鈴木秀人はチームでは定位置確保したがフル代表候補止まり。結局、フル代表まで上ったのは、GK川口、中田、城の3人。U17のメンバーで、中田が「一番一緒にやりやすかった」という財前(ざいぜん)などクロアチアのリエカで出番もないし、五輪に出るはずだった小倉はケガに泣いている。

・1997年ユース→2000年シドニー五輪
 中村俊輔、柳沢の世代。ガンバ大阪のDF宮本がキャプテンだった。この世代もまだ、駒不足のFWに柳沢が選出された以外、フル代表には呼ばれていない。

・1999年ユース→?2000年シドニー五輪?→?2002年日韓共催ワールドカップ?
 今一番伸び代が感じられる世代。順調に2002年まで伸びてほしい!!



(『ぱろっと通信』No.59 (1999年6月発行)より転載)

先頭へ