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生(あ)れ出(いで)よ! サッカー文化


<テレビ中継>

 Jリーグが始まって9年目だというのに、日本のテレビは、いっこうにカメラワークが上手くならない。最近、民放の地上波では放映が少ないが、NHKは一貫して中継を続けているのだから、少しは向上してもよさそうなものなのに、相変わらずなってない!
 第一、アップが多すぎる。ドラマじゃないんだから、選手の顔が大写しになったって、試合がよくわかるわけじゃない。サッカーは展開が早い。だから、ボールが動くスピードで画面を動かしたら、目がついていかない。そうならないためには、遠めから広く写しておいてほしい。そうすれば、少しくらいロングパスが出ても、画面をちょっと動かすだけですむし、こちらもその時の選手の位置(パスを出す方と受ける方)や動き(直接パスに絡まない選手の走り=オフ・ザ・ボールの動き)が全体的につかめて楽しめる。また、こうでなければ、いわゆるオフサイドが画面上でわからない。選手ひとりひとりの表情なんて見えなくても、ぜっんぜーん構わない。
 第二に、画面の切替えが多すぎる。同じことだが、切替えが多いと、やはり目がついていかない。敵味方の何人もの選手が入り乱れている上、激しく動いているのに、テレビ画面までが頻繁に角度や倍率が変わったのでは、試合の展開がつかめない。テレビを見ている人間の大多数がサッカー選手ではない素人のはずで、素人は一般的にスポーツ選手より動体視力が悪い。だから、いくら見せ場のセットプレー(フリーキックやコーナーキック)でボールが止まった状態にあるといっても、ボールをセットしているプレースキッカーを大写しにしておいて、蹴った瞬間、ゴール前にカメラを切替えたりされたら、ボールの飛んでいったコースはわからないわ、選手同士がどう動いたのか、そもそもゴールしたのかも見えないわで、はなはだストレスがたまる。すぐリプレーするといっても、スローモーションだし、何より生中継ならリアルタイムでちゃんと見せるべきだ。 たまに、ヨーロッパのサッカー中継を買ってきた映像が放映されるが、たいがいロングかつワイドに写していて、たいへん見易い。選手の顔は覚えられないが、背番号が何とか見えれば、だいたいわかる。やはり、サッカーの見方がわかっているカメラクルーがそろっているということだろう。これが伝統の長さ、文化としての根付き方の差なのだろう。

<新聞報道>

 野球の記事を専ら読んでいる時は気にならなかったが、サッカーの報道を読んでいると、つくづく日本には、スポーツ批評文化がないなと思う。
 もちろん試合のデータ(先発選手、得点経過、交替選手、会場、入場者数etc.)は当然だし、試合経過の客観的な記述までは、かろうじてクリアしている。が、特筆すべき場面についての、ある程度主観的(=批評眼を通した)な描写というのがいただけない。たいてい選手個人の過去のエピソード(下積みを何年とか、ケガを乗り越えとか)の披露にすぎない。
 これは一般紙・スポーツ紙ともに同罪。スポーツ紙の方が割いているスペースは大きいが、日本のスポーツ紙の性格は半分以上、芸能スキャンダル新聞といってもいいものなので、せっかくのスペースの大半は、写真が大きいだけ。後は、例によって個人エピソードを増やすか水増しするか、捏造するかで埋められていると言っても過言ではないと思う。
 選手個人の記事も少しはいいが、現代のサッカーは個人プレーよりもチームプレーに重点があるので、チームとして分析してほしい。ジュビロ磐田はなかなか得点できなくてもなぜ最後には勝つのか? 横浜マリノスは、選手個人個人の能力を単純に足したらもっと成績がよくてもよさそうなのに、どうして点が取れないのか? フォワード一人の問題じゃないのは素人だってわかるのだ。
 もっと書いてほしいのは、積み重ねた取材(プライバシーのすっぱ抜きではなく)を土台にした記事だ。不振の原因は、監督が選手を束ねきれていないためか、フィジカルコーチが体調を管理できないのか、選手の自覚・能力が足りないのか、外国人やスター選手に頼り過ぎてバランスが悪いのか、好調なのは、単に運がいいだけなのか、新しいシステムが選手の個性や気性に合ったためか、戦術がようやくチームに浸透したためか。他にももっともっと素人の読者が思いつかないような専門的な切り口からの分析が読みたい。

<共有認識>

 野球なら、4番打者のイメージというのは、日本人誰でも思い浮かべられる。具体的な選手名や理想の打者像について、一般のファンが各自持論を展開できるはずだ。同様に、1番打者、先発投手、中継ぎ、押さえ、ピンチヒッターから監督論まで開陳できるのは疑いのないところだ。
 ところが、サッカーには、まだそれがない。自分の地域の贔屓チームなら、少しはあるべき論やあらまほしき論が出てきているが、監督が変わればコロッと一変するのが大半だ。例えばサンフレッチェ広島は、Jリーグ初年度のバクスター監督時代から、まず守ってカウンター攻撃という少々面白くないチームだった。しかし今季の監督が突然スリートップという超攻撃型チームにしてしまった。ヨーロッパでは先にチームコンセプトがあり、合う監督が雇われる。かたや日本では代表のサッカーの理想像すら存在していない。
 せめてポジションごとの、あるべきフォワード像とか、あらまほしきディフェンダー像などが、どのチームのサポーター同士でもある程度共有できるようになれば、サッカーも野球並みには日本文化に根付いたと見ることができるのではないか。



(『ぱろっと通信』No.72 (2001.8.1発行)より転載)