アテネ・オリンピック出場決定!
こんなに苦しむとは思わなかったが、サッカー23歳以下日本代表がアテネ五輪の出場権をついに勝ち取った。
そもそも今回の最終予選は、「準セントラル方式」で行われた。3月1日、3日、5日の「UAEラウンド」でアウェーの総当たり戦を行ない、3月14日、16日、18日には「日本ラウンド」でホームの総当たり戦を行なう。
以前、日本のサッカーが弱くて、アジア・サッカー界で発言力もなかった頃は、アラブ諸国と同組になれば、中東のどこか一ヵ国の「セントラル方式」で予選を戦うことも珍しくなかったようだ。1994年ワールドカップ・フランス大会のアジア最終予選での「ドーハの悲劇(=最終戦の後半ロスタイムに同点に追いつかれ、得失点差で目前のワールドカップ初出場を逃した)」も、カタールでの「セントラル方式」の最終予選で起こった。その後、1999年ナイジェリアでの世界ユース(20歳以下世界大会)準優勝、2000年シドニー五輪ベスト8、2002年ワールドカップ日韓大会ベスト16、と実績を重ねるにつれ、アラブ諸国3ヵ国と同組でも、「ホーム&アウェイ」に近い「準セントラル方式」で行なうことができるようになったと言える。
3月1日 バーレーンvs. 日本 0−0
初戦の堅さもあったが、思ったより相手が手強くて苦戦。暑い国で試合が一日置きにあるという苦しい日程なので、当初は、ここで勝って、次のレバノン戦では選手を入れ替えて休ませるという目論見もあったが、初めから誤算。
3月3日 レバノンvs. 日本 0−4
リズムにのれずに30分近くレバノンに守られていたが、前半29分、高校生のFW平山が落としたボールを田中(達)(浦和レッズ)がヘディングでゴール。続いて33分、キャプテン鈴木(浦和レッズ)が追加点。後半これでどんどん加点していくかと思ったが、またも守られ、さらなる追加点は、ようやく後半28分、平山に替わった高松(大分)が得点。最後ロスタイムに石川(FC東京)が豪快なミドルシュートでダメ押ししたのは良かった。レギュラー三人を欠いた相手なのに、点差の割に苦しい場面が多く、不安を残す。
3月5日 UAEvs. 日本 0−2
予選B組では最も手強い相手と見られていたが、パスをつなぐ日本と似たサッカーをするため、案外やりやすかった。しかし、点はなかなか取れず、後半40分、田中(達)のシュートを相手GKがはじいたところを高松が押し込んでやっと先制。直後に田中(達)がミドルシュート。GKはかすったがゴール! 冷夏とはいえ、夏のオーストラリア合宿で暑さ対策を充分に行なってきた成果が終盤、お互いに足が止まってくる時間帯に生きた。 後で聞いて驚いたのは、この試合の前日、原因不明の腸炎で、ほとんどの選手(無事だったのは、田中(達)、今野、山瀬、前田の四人だけだったらしい)が体調不良だったこと。このことを日本の体調管理の不備と見るか、精神力の欠如と見るか、諸説流れた。
この勝利で、思いがけずB組首位で日本ラウンドを迎えることとなった。
3月14日 日本vs. バーレーン 0−1
悪夢のような、日本ラウンド初戦での信じられない敗戦。やはりB組で次に強敵なのは、バーレーンの方だった。しかも、前半31分、守備の要の闘莉王(浦和レッズ)が左足怪我で交替。闘莉王は、日系ブラジル三世だが、帰化してすぐオリンピック代表に選ばれたのは、大きな声で指示を出し、無謀とも言える攻撃参加で、「谷間の世代」と言われるこのおとなしいチームに喝を入れてくれる貴重な存在だからだった。
ところが、もう一試合の「UAE対レバノン」で、レバノンが引分けに持ち込んだため、かろうじて得失点差で日本が首位のまま。
3月16日 日本vs. レバノン 2−1
この試合は、チケットを(インターネットのeプラスで)購入し(7000円!)、我が家の二人で観戦。前の時間の「UAE対バーレーン」もこの券で観戦できるので、二時間休を取って見た。一瞬(バーレーン憎さに?!)、UAEを応援すべきかと思ったが、そうするとUAEが2位になるだけなので、ここはスコアレスドロー(0−0)が日本にとってありがたい。バーレーンが先制したので、日本人サポーターはみな心得て、後半猛攻するUAEに、「UAEコール」を送ったが、それも虚しく追加点まで取られて万事窮した。日本がバーレーンをのせてしまったらしい。
さて席は「アウェイ」側だったが、スタンドは青(=日本代表のユニフォームカラー)一色。5万人の地鳴りのような応援には、ゾクゾクする。これこそ代表の試合の醍醐味。一昨日は、「レバノン様様」だったが、今日は敵。日本は、闘莉王だけでなく、DF那須(横浜F.マリノス)も警告累積で出場停止だったが、怪我や不調で「UAEラウンド」に呼ばれなかった阿部(ジェフ市原)や大久保(セレッソ大阪)が活躍。阿部は本来のボランチ(=守備的な中盤で、攻撃の起点にもなる)ではなくDFラインに入り闘莉王の穴を埋め、前半14分のフリーキックで先制。これで波に乗るかと思ったものの、追加点が取れないでいるうちに、なんと後半22分、那須の代わりに初出場のDF近藤(柏レイソル)のクリアミスをシュートされ、同点にされてしまう。しかし直後の24分、前田(ジュビロ磐田)のクロスボールを大久保がヘッドで押し込み、勝ち越し。得失点差4で首位をキープ。
この日は、天気はよかったが風が少しあり、充分防寒の服装でカイロもたくさん使ったが、二試合見たせいか冷えきってしまった。でも、勝ったので心は暖かい。歩くのも困難な闘莉王が、ベンチから味方に声をかけているのが見えたが、どれだけ届いたのかな。
3月18日 日本vs. UAE 3−0
日本のオリンピック出場がかかったこの日は、朝は暖かかったが雨っぽく、雨が降り出すにつれ、どんどん気温が下がり、暑い国から来たUAEの選手たちには過酷な状況だった。(私はわりと雨女だが、この日は行かなかったので、無関係である。)彼らが来日した3月10日過ぎは平年よりも暖かく、過ごしやすかったはずだが、平年並みの気温に戻った3月の日本の夜は、ベンチで一枚の毛布をかけたくらいでは暖は取れなかったようだ。もしかするとそれよりも雨上がりの濡れたピッチの方が、不利だったかもしれない。
日本は、体調が戻った平山と、大久保、田中(達)の3人をFWに並べる超攻撃的な布陣。前半12分、阿部のフリーキックを、出場停止明けの那須が豪快なヘディングで先制。41分には、またも阿部のコーナーキックを相手DFがクリアしそこねて、こぼれ球をねらっていた大久保のところへ。追加点で相手の士気を殺いだ。後半も開始早々の2分、またも大久保が押し込んで3点目。これで完全にUAEの戦意をなくした。
もう一試合の「バーレーン対レバノン」は、なんとレバノンが驚異の粘りで後半追いつき、1−1の引分け。バーレーンの監督は「同じアラブなのになぜ日本の有利になるような試合をするのか」と言ったそうだが、お門違いというもの。それより、既に来日以前に、オリンピック出場はほぼ絶望だったレバノンが毎試合、善戦した方が称賛に値する。レバノンは、オリンピックのアジア最終予選まで進んだのが今回初めてだそうだ。
実はこの日は、何と職場の送別会があってテレビ観戦もできず。心で応援を送りつつ、携帯電話の「Jリーグ Index」で試合経過をチェックしていた。大急ぎで帰宅したが、ちょうど山本監督のインタビューが終わったところだった。もちろんビデオの録画はかけてあったので、後半だけ見た。とにかく、終わり良ければ全てよし、である。
山本監督が日本ラウンドの初戦、負けていたのに大久保を投入しなかったのは、普段から審判への抗議やラフプレーでたびたび警告を受けていたため、初戦で一発退場にでもなったら肝心の試合で切り札として使えない、という計算があったからだ。監督というのは本当にたいへんだ。予選は6試合通しで考えなければならないし、予想外の事態にもマスコミ対応は冷静にしなければならない。
しかし、選手たちも既に、オリンピック本番に向けて切磋琢磨しなくてはならないことは承知している。高校生の平山や、ユース(20歳以下)チームから今野(FC東京)や徳永(早大)を加えた、この最終予選を勝ち抜いたチームはいったん解散し、また新たなチームが招集されるのだ。日本サッカー協会の意向にもよるが、23歳以上の「オーバーエイジ枠」(3人まで)を使った場合、今回のチームから再び選ばれる選手はさらに減ることになる。点取り屋の大久保も、怪物高校生も、山本監督推薦「MVP」の今野も安泰ではない。 オリンピックのサッカーと言えば、28年ぶりの出場を決めた1996年アトランタ五輪は、あのブラジル(最後は銅メダル)とハンガリーに勝ったものの(最終的に金メダルを取ったナイジェリアには負け)得失点差で予選敗退、次の2000年シドニー五輪では、アメリカにPK負け(しかも中田(英)のPK失敗で!)でベスト8。三大会連続出場となれば、これよりいい成績を! と高望みするのがファン心理。誰が選ばれ、どんな戦いをするのか、今から楽しみである。
(『ぱろっと通信』No.88 (2004.4.1発行)より転載)
2004.7.17追記
昨日、本番のメンバーが発表された。オーバーエイジには、ゴールキーパーの曽ヶ端(鹿島アントラーズ。もうボールは落とさないで)、司令塔の小野伸二(蘭・フェイエノールト)が入り、エコノミークラス症候群が発症3ヵ月以内の高原(独・ハンブルガーSV)ははずれた。今までのレギュラーからは、キャプテンだったボランチの鈴木啓太(浦和レッズ)、司令塔の山瀬(浦和レッズ)がはずれた。また、FWの坂田(横浜F.マリノス)、MFの前田(ジュビロ磐田)などもバックアップメンバーとしては残ったが、本番までに怪我人と入れ替えにならなければ、アテネへは行かれない。やはり最後のテストマッチ7/14のチュニジア戦(0-1で敗戦)で活躍できなかったのが痛かったか。ひとつ下のユース世代からは、今野(ボランチ、FC東京)、徳永(サイドバック&アウトサイドMF、早稲田大学)、菊池(ストッパー&ボランチ、ジュビロ磐田)、平山(FW、筑波大学)が入った。今野は順当、平山は高原の代わりの滑り込みか。