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マラソン (2005.10/16)
北京国際マラソン (2005.10/16)
男女混合マラソンで、日本からは男子9名、女子1名参加。でも、誰一人名前を知らない。今回は、初めて日本選手団として昆明で高地合宿を行い、その成果を試すレースらしい。北京は14℃で路も平らで走りやすそう。男子には、ケニア人ペースメーカーが二人いるが、女子にはいない。日本の男子9人は初め全員先頭集団にいたが、ペースメーカーがペースを上げたら、どんどん落ちて、徳永と梅木の二人だけに。25kmでペースメーカーが離れたときには、ケニアのチェロノと前回覇者のモイベンと4人に。ところが、チェロノが30kmあたりでロングスパートをかけると、ついていけず、結局40kmのチェックポイントでは、2位だった梅木はマイペースで5位6位につけていた中崎と福永にも抜かれ、最後は中崎と福永が3位と4位、梅木は足を痛め5位。
女子は自己ベスト2時間33分台のおびあさみが超スロースタートのうちは先頭にいたが、この大会連覇中の孫英傑がとびだした後は、自己ベスト更新の一人旅に。画面には全然映らず、2時間32分台で8位とか。
男子のチェロノはゴール直前のコースをショートカットして、2時間7分でゴールしたが、これは誘導が悪いらしい。何度もコースを間違えかけるシーンがあった。TBSの解説・金さんは「気の毒だけど失格でしょう」アナウンサーは「日本の中崎はこの場では、2位と申し上げます」と、すっかりチェロノ失格路線。後でYahoo!ニュースを見たら、後続と大差があつたので、2時間9分15秒にタイムを調整して参考記録とし、優勝は取り消さないことにしたそうだ。本当は失格だと思うけど、大会運営、北京五輪までによーく見直してほしい。沿道の住民が選手と同じ道路を自転車で何人も併走したりとか、日本では考えられない!
マラソン (2005.10/12)
シカゴ・マラソン (2005.10/9)
実は、開始時刻を1時間まちがえて、見始めたときに既に1時間12分経過。ボストンマラソンと並ぶ市民マラソンとしては大きな大会。コースも平らで記録が出やすいらしいが、昼に近づくにつれ、風が強まるという。日本からは、女子に千葉真子が、男子に佐藤敦史が出場。既に佐藤は脱落しており、千葉も1位・2位から大きく離されていた。1位のカスター(地元アメリカ)も、千葉も自己新記録が出そうな展開だったが、途中から吹き始めた風が強まる一方で、特に一人旅の千葉にはこたえたようだった。ペースメーカーに囲まれて走っていたカスターでさえ最後全然足が出ず、5秒差の優勝だった。千葉はゴール(そのまま3位)後のインタビューで、実は欠場も考えたほど調子が悪かったと言っていて、完走を目指したという割にはマシだったと言うことか。独立後、初の海外レースだったので、経験の場ということらしい。
マラソン (2005.10/1)
ボストン・マラソン (2005.9/25)
野口みずきが、日本新記録をねらうというのが見所。フジテレビは、それだけを追っていて、マラソン全体の実況はおざなり。なんで日本のスタジオに何回もふったりするのだろう。その暇に男子の実況をしたり、女子の二位以下の選手を追ったりすればいいのに。今回、野口には、4人の男性ペースメーカーがついた。前日に3人から4人に増やしてもらったり、事前にペースメーカーと一緒に練習したり、着実に準備したそうだ。結果的に日本新記録は出たけれど、去年の坂本のときよりずっと暑かったせいで、更新しただけ、という感じ。それより「日本新記録を出す」と言って、実行した野口の精神力に拍手。
世界陸上 (2005.8/20)
女子マラソン (2005.8/14)
男子より有望選手がそろっていたはずなのに、イギリスのラドクリフが始めからとばしたため、ついていったのは、これが2回目のマラソンの原ただ一人。ずっとタンザニア(?)のギギと3人で、第二グループが前回覇者のケニアのヌデレバを含む五〜六人、第三グループに弘山や大島など残りの日本人という展開。結局、ラドクリフはストライド走法に不利な雨の石畳みをものともせず、スパートすると原もギギも落ちて、直前練習で足を痛めたにもかかわらずヌデレバが追走したのは流石。ラドクリフは、何と五輪・世界選手権では初めての優勝。日本は原の6位が最高で、次が終盤追い上げた弘山で8位入賞。第三グループからここまできたのは立派だが、同時に第三グループでは、これが限界とも言える。団体優勝はケニアで、日本は2位(大島が12位)。3大会連続のメダル及び団体5連覇とも逃した。
世界陸上 (2005.8/13)
男子マラソン (2005.8/13)
10分過ぎから見始めた。TBSの実況アナ(土井)がうるさい。29km付近で、CMの間に、先頭集団のモロッコのガリブがスパート、高岡が付いていった。このときまでに、日本人5選手のうち先頭集団(20人くらい)にいるのは尾方と高岡だけになっていた。スパートについて行けたのは、5人だが、だんだん縦長に。後ろから着実に追い上げる尾方とラマダニ(タンザニア)に追い抜かれ、高岡も抜かれて一時は8位。尾方は、40km手前でロングスパートし、単独3位。高岡も粘って4位。奥谷が14位に入ったことで、団体優勝(!そんなもんがあるのね〜。でも、選手のモチベーション維持には役立っていた)した。
#実は、この日は先にナビスコカップの準々決勝セカンドレグを見ていて、マラソンに気づくのが遅れたのだった。
名古屋国際女子マラソン (2005.3/13)
本命の渋井は30km過ぎで脱落。練習期間が短めでスピード練習が足りなかったとか、四日前に風邪をひいて呼吸が苦しかったとかあるらしいが、スパートできず7位。初マラソンの原(京セラ)が粘って大島(旧姓・田中)めぐみに付いていき、38km位でとうとう先頭に立ってそのまま逃げ切ったのは立派。2時間26分以内どころか2時間24分19秒。2位の大島、3位の江田も2時間24分台。3月で廃部になるUFJ銀行の大南敬美は、痛めている左足が不調で渋井より早く脱落。ペースメーカーは今回は二人だったが、一人は20km手前で後退、もう一人は25kmまで走りきった。なかなかペースメーカーというのも難しいようだ。
びわ湖毎日マラソン (2005.3/6)
ペースメーカーは3人もいたのに誰一人契約の30kmまで保たず。ケニアのリリ(ベストタイム2時間6分台)がその後は引っ張り、昨年の覇者スペインのリオスと国内招待選手の細川(大塚製薬)が3人で先頭集団。中間点まで20人以上いたのに、折り返してからの向かい風が相当響いたよう。リリの優勝タイムが2時間9分ジャスト。日本人一位で2時間9分30秒以内という条件に、細川が2時間9分10秒で内定。4位、5位も日本人でタイムは条件内。世界選手権枠残り2人はどうなる?!
東京国際マラソン (2005.2/13)
有力選手が国内外含めて、高岡寿成しかいないというのも珍しい。最後の上り坂が嫌われているとか。2時間6分16秒の日本記録を持つ高岡が、記録更新と優勝の両方を目指すため、1kmのラップを3分ちょうどに設定したはずのペースメーカーが、3分5-10秒のため、高岡がペースアップを頼むという珍しい場面も。なのに上がらないため、折り返した23kmすぎにスパートすると一人旅。心配された坂もペースダウンせず走り抜けた。これで世界選手権二人目に当確。
別府大分マラソン (2005.2/6)
初マラソンのくせに「他の選手にとって一番恐い相手は僕でしょう」と大言壮語していた大島は、スパートするはずの30km過ぎから遅れ、入船の独走に。旭化成の期待の小島(おじま)忠幸(宗幸の弟)は、その前の25kmくらいからズルズル遅れ、最後は7位。夏の世界選手権は、男子も5人出場枠があるが、向かい風の中の入船の2時間9分58秒は、当確なのか?(##男子は、日本人一位で2時間9分30秒以内だった。後日記)
大阪国際女子マラソン (2005.1/30)
今回の有力選手は、弘山晴美、リディア・シモン、大南博美。でも、11kmすぎから飛ばした大南が、大阪城を出たあたりで急に足にきて、35kmくらいでラトビアの選手に抜かれ、3位集団から抜け出してきた小崎(おざき)選手にも抜かれ、最後は6位。一応、2時間26分以内なら夏の世界陸上(ヘルシンキ。出場枠5人)の候補という中に、弘山(3位。2時間25分55秒)まで入った。3月の名古屋国際女子マラソンに有力選手が集中しているらしいので、予断は禁物だが、弘山は、やはり、マラソンでは世界に少し足りないのだろう。