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マラソン (2007.12/2)
福岡国際マラソン (2007.12/2) 北京五輪選考レース
女子は、ペースメーカーなしだったが、男子は五輪選考レースでも付けてきた。今回初めて日本人ペースメーカーが採用され、10kmまできっちり1km3分を守った。国内有力招待選手は、日本記録保持者・37歳の高岡、大会記録保持者・藤田、アテネ五輪5位の油谷、最近ハーフマラソンの日本新記録を作った佐藤淳之、双子の弟・松宮祐行、トヨタ自動車九州所属で最近ハーフ世界記録を出したワンジル。海外招待は、大物のテルガトが欠場し、小粒。まず半分手前で松宮が脇腹を押さえ遅れ、次に中間点過ぎの22kmあたりで、大量の汗をかいていた高岡が遅れる。折返しの手前30km過ぎで藤田が、続いて油谷が遅れる。32kmの折返しでは、既に日本人は佐藤のみ。後はワンジルと一般参加のエチオピアの選手メルガ。やはり、ハーフでかなりの成績を持ち、マラソンは2時間15分台の記録だが、世界王者ゲブラシレシエの先導を勤めたこともあるとか。しばらく3人で併走し、一度佐藤がスパートしたが振り落とせず、逆にワンジルが34km過ぎで仕掛けたときに遅れた。2人は競技場勝負かと思ったが、ワンジルが再スパートして振り切り、初マラソンにして公約通り2時間6分台(39秒)で優勝。ケニア代表を決める来年のロンドンマラソンに向けていい練習になった。佐藤もそのまま3位に入り、2時間7分13秒ながら日本人最高でかなり北京当確か。松宮が途中で盛り返し、高岡、藤田、油谷を抜いて日本人2位の4位。佐藤と松宮以外は惨敗。いったいどうしたのか。
マラソン (2007.11/18)
東京国際女子マラソン (2007.11/18) 北京五輪選考レース
野口みずきの圧勝だった。思ったよりも気温が高く、風も強かった。折返しまで向かい風の中、早くから野口、渋井、ケニアのコスゲイの3人に絞られた。初めから飛ばす予定だった野口も、気温と風を考え、自重気味に入った。最初の5kmが16分38秒。五輪選考レースのため、ペースメーカーなし。ロサンゼルス・マラソンで優勝してきた大南博美は、16kmあたりで遅れ、一昨年のこのレースの覇者、イタリアのジェノベーゼも遅れる。スパートしないのに3人になり、28km過ぎで渋井が遅れる。若い頃は7種競技をしていたという異色の経歴のコスゲイは時々野口に離されながら、何度も追いついたが、最後の坂の手前で野口がスパートすると遅れた。野口は、下り坂は苦手だが、なんと上り坂が得意。アテネに比べたら「たった25m」と言ったらしい。坂で加速し、スローペースで始まったレースのコースレコードを塗り変えてしまった。8年前、山口衛里が作った2時間22分12秒を、2時間21分37秒に縮める。東京コースは初めてで、とても二年以上フルマラソンを走っていなかった選手とは思えない。走り方も以前より安定し、解説の増田明美が、はねるような所がなくなり、無駄のないフォームになった、と言う。これで世界選手権銅メダルの土佐に続き、北京五輪3枠の2つ目は決まったと考えてよいと思う。2位にコスゲイ、3位に、後半強いジェノベーゼ、4位に、やはり後半型の尾崎朱美(自己ベスト)、5位に大南、6位に天満屋の挽地、渋井は自己ワースト記録の2時間34分19秒の7位。前半の向かい風で体力を使い、汗をかいて足が止まった。
マラソン (2007.9/2)
世界選手権女子マラソン (2007.9/2 長居)
ヌデレバが余裕の走りで優勝。10秒遅れの第2集団先頭でマイペースで走り、折り返した後、大阪城を出たあたりで先頭集団がばらけてくると、すかさず追いつき、無理なく人数が減るのを待って少しずつスパート。最後の上り坂で中国の周と朱、土佐の4人になり、土佐がおくれ、朱もおくれたところで、周もふりきって競技場へ。周は腎結石やら足首の腱の疲労やら不調と言われていたが、力強い走りで2位。土佐は最後、ものすごく苦しそうな表情で、中国の朱を抜いて、競技場へ。日本人トップで銅メダル。これで北京代表に内定した。スタートから土佐と集団の先頭にいた原は途中で左足痛を起こしたらしく、大阪城手前で遅れ、18位。嶋原が最後の方まで8人に減った先頭集団に残り、6位入賞。小崎(おざき)は14位、ヌデレバと第2集団で併走していた橋本は23位。なんと団体で3位だそうだ。
マラソン (2007.8/26)
世界選手権男子マラソン (2007.8/25 大阪・長居)
ケニアのキベトが優勝、カタールのシャミが銀メダル、スイスのルースリンが銅メダル。ノーマークのエリトリアのアスメロンが4位、尾方が5位、尾方とずっと競ってきた大崎が6位。右足親指の爪をはがした諏訪が追い上げて7位。大阪城に入った所で派手な転倒をしたと言われた(CMの間だったので映像無し)キベトが、ものともせずに先頭に追いついたばかりかペースを上げて最後はぶっちぎって、優勝。尾方は、4位の選手をとらえた途端、「気がゆるんだ」のだそうだ。
マラソン (2007.3/12)
名古屋国際女子マラソン (2007.3/11) 世界選手権選考レース
海外ビッグネームもいない今回は、弘山と大南敬美の一騎打ちかと思われた。しかし、2km付近で先頭集団がまだ10人以上いる中で、大南が横倒しに転倒。すぐ立ち上がったが、あとずっと先頭集団の最後尾に付く形。強風だったため、ペースメーカーの速度が上がらない。ペースメーカー(2人)が速度を上げると、高仲ひとりしかついてこない。高仲の自己ベストは、2時間40分台。2位集団は、弘山やケニアのモンピらを先頭にマイペース。ペースメーカーたちと一時は40秒以上も開いた。しかし、20kmで一人、25kmで二人目のペースメーカーが離れると、高仲は遅れ始め、国内招待選手中心の8人に一気に抜かれ、その後は20位までには入らなかった。30kmすぎまで集団だったが、後半追 い風になるはずの風が、今年はあまり追い風でなく、しかも往路より弱まっていたのも一因か。大南が二度ほど軽くスパートしたが、振り落とせない。それでも弘山が少し上げたのか徐々に人数が減っていき、ここで大南も脱落。弘山と橋本の一騎打ちに。橋本は常に2列目を走っており、逆に弘山は第2集団だったとき、ペースメーカー的に先頭を走り、風よけにもなっていた。トラックでは、弘山の方が速いらしい。最後の上り坂で、橋本が猛スパートし、ふりきって初優勝。名古屋は5年連続5度目の出場とか。タイムは2時間28分49秒と、内定条件の25分59秒以内には遠いが、強風という条件、何より弘山に競り勝ったのが有利だろう。弘山は、世界選手権の女子マラソンの日が39歳の誕生日ということをモチベーションにして走ったが、初優勝した昨年に比べ、執念が足りなかったようだ。
マラソン (2007.3/4)
びわ湖毎日マラソン (2007.3/4) 世界選手権選考レース
日本勢はまた、沈んだ。今度は気温が20度にもなる厚さとの戦い。前回覇者スペインのリオスも途中棄権。国内招待選手最右翼の小島宗幸は、20kmくらいで既にいない。ペースメーカーのはずれる30kmまでで国内招待選手は梅木ひとり。あとは一般参加の阿部(三菱重工長崎)、西山(YKK)。海外招待選手は、タンザニア、ケニア、エチオピア、オランダと、アフリカ勢が優勢。阿部は35kmくらいまで粘ったが、いかにも苦しそうに離されていった。結局日本人1位(全体の6位)は、脱落者を着実にひろってきた久保田(旭化成、25歳)。日本人2位(全体の7位)が阿部、3位(全体の8位)には何とコーチ兼任の実井(アトランタ五輪代表)が入った。国内招待選手全員惨敗で、陸連はどうするか。日本人1位の久保田も、「アフリカ勢と勝負できた訳ではない」という厳しい評価。あと4人の枠があるけど、誰になっても世界とは、戦えないのでは?
マラソン (2007.1/19)
東京マラソン (2007.2/18) 世界選手権選考レース
東京国際マラソンを廃止して、新たに都心を走る市民マラソンとして生まれ変わった第一回。男子は、中国電力の油谷が世界選手権内定を目指し、その他、入船(カネボウ)と佐藤(旭化成)も再挑戦だった。海外招待組では、アテネ銅メダルのデリマ(ブラジル)、世界最速ランナーの一人サミー・コリル(ケニア)などがいたが、優勝はヤクルトのジェンガ。ケニア出身、来日15年。2004年の東京国際で優勝しながら、アテネ五輪のケニア代表になれなかった。この日は、氷雨が降り続き、気温4度のスタート。ペースメーカー3人のうち1人が早々とリタイヤ。始めが下りで行きすぎると後で足に来る、というので抑えめに入ったのかと思ったが、寒さでペースが上がらないらしい。中間点で、もう1人。本当は30kmまで行くはずが、最後の3人目が25kmではずれる。途端にジェンガがスパート。誰もついて行けなかった。コリルと油谷はとっくに先頭にいなかったが、初マラソンの徳本(日清)が第2集団に残っていた。それも次第に入船と佐藤の一騎打ちとなり、35kmで佐藤がスパート。2位に入ったが、目標の2時間9分29秒に遠く及ばない2時間11分22秒。コリルと油谷は結局棄権。女子は有力選手が出ず、有森と市橋の引退レースとしての位置づけ(フジテレビは有森のみ三回程写したが、市橋ほか女子のトップは一切報道せず)。有森は途中ころんだらしいが、それでも5位(2時間52分45秒)。優勝は、初マラソンの新谷(豊田自動織機)。約3万人が参加し、完走率が96.7%というのは、天候を考えれば成功か。仮設トイレ600では全然足りなかったらしいが。
マラソン (2007.1/28)
大阪国際女子マラソン (2006.1/28) 世界選手権選考レース
やっぱり大阪城を出たところだった。予想通り、渋井陽子と原裕美子が先頭を行く展開で始まり、なんとペースメーカーが5kmも行かないうちに離脱。大阪城のアルフィーの歌が終わり、CMが終わると、お約束のように、原がスパートしていて、既に渋井を引き離していた。この代わり端が見たくてテレビを見ているのに、毎年毎年、フジテレビは同じ所でレースを見せない。原は、前回の世界陸上ヘルシンキ大会でラドクリフにぴったり追走したときと同じく、渋井をマーク。監督とは30km過ぎまで動かない作戦だったが、大阪城内で行けると思い、29kmでスパート。この後、渋井は足に痛みが出たらしく、ガクッとペースが落ち、体のバランスも傾き、後半に強い小崎まり、初マラソンの加納由理にも抜かれて、最後競技場に入る前にも、大端、リディア・シモンらにも、どんどんぬかれていった。原は2時間23分48秒で優勝。マラソン3回目で大阪を初制覇。
画面は、原のインタビューはともかく、スタジオのゲストの方に移り、レースの後続選手のゴールはほとんど見せず。上位の順位も伝えない。途中、大阪城内では6人から4人になった3位集団が、原のスパートの後見ると、なんと外国人2人が落ちて、小崎と加納だけになっているが、まったく触れず。名前も第一移動車の増田明美が言わなければ、実況アナは触れもしない感じ。5kmごとの通過タイムでも、日本人のみ表示するなど、レース全体の中継としては片手落ち。世界選手権選考レース(枠は5人)で、「日本人1位」「2時間25分59秒以内」が条件。小崎、加納も他の選考レースのタイム次第で世界選手権に可能性が。ネットのニュースによれば、渋井は10位。翌日の新聞によれば、足が痛かったわけではなく、急に力が入らなくなったとのこと。