日本での翻訳
- 訳者名『掲載資料名』出版社、年月、掲載ページ
「翻訳詩句」 ★は、著作権消滅 /は、改行
- 訳者不明『幼年園』1917(大正6)年1月、培風館 「西洋の子供うた」ページ
★「ヤァヤ、ヲカシイ ヲカシイ。/ネコ ガ ベン ベン ヒキヤ/メウシ ガ ツキトビ/コイヌガワラヒダシ/オサラトオサジがニゲダシタ。/ヤァヤ ヲカシイ ヲカシイ。」
- 北原白秋『赤い鳥』4巻4号、赤い鳥社、1920(大正9)年4月
★「ぴよつこりぴよつこり、ぴよつこりしよ。/猫が胡弓弾いた。/女牛がお月様飛び越えた。/小犬がそれ見て笑ひ出す。/お皿がお匙を追つかけた。/ぴよつこりぴよつこり、ぴよつこりしよ。」
- 竹友藻風『世界童話大系 17 世界童謡集 上 諸国童謡集』世界童話大系刊行会、1925(大正14)年4月、p.18
★「猫が胡弓でトチツルテン、/牝牛が月を跳び越えた、/小犬がそれ見て吹き出した、/皿と匙とが驅落だ。」
- 松原至大『マザアグウス子供の唄』春秋社、1925(大正14)年12月 p.22
「やっこりゃ、きい、きい、/猫がバイオリンをひいて」
- 無記名(藤田圭雄)『赤とんぼ』第3号 実業之日本社、1946(昭和21)年 p.36-7
「よいこらどつこい/すたこらさ/うかれた小猫の/ヴァイオリン/子牛は三日月 とびこした/小犬はゲラゲラ 笑ひ出す/お皿とおさじが かけ出した/よいこらどつこい すたこらさ」
- 野上彰『世界少年少女文学全集 32 世界童謡集 訳詞編』東京創元社、1955(昭和30)年 p.28
★「ねこが胡弓で トチチリリン/雄牛が月をひとまたぎ」
- 吉竹迪夫『英・米わらべうた まざー・ぐーす』開文社、1962(昭和37)年7月 p.23
「ありゃ つんとん ちんとん/猫じゃ 猫じゃが 胡弓をひいた、」
- 谷川俊太郎『スカーリーおじさんのマザー・グース』中央公論社、1975(昭和50)年 p.32
「えっさか ほいさ/ねこに ヴァイオリン」
- 岸田理生『マザーグースの絵本 1 だんだん馬鹿になってゆく』新書館、1976(昭和51)年6月 p.103
「ヘイー ディドル ディドル//猫が バイオリン弾きまして」
- 平野敬一『マザー・グース イギリスのわらべうた』ほるぷ出版、1976(昭和51)年9月 p.64
「ヘイ ディドル ディドル/ねことバイオリン」
- 原田治『オサムズ マザーグース』ダスティミラー、1976(昭和51)年11月 p.3
「ヘェイ ディドゥル ディドゥル/ねえ おかしいじゃない。/猫さんが フィドゥル弾いたんだって。」
- 長谷川四郎『マラルメ先生のマザー・グース』晶文社、1977(昭和52)年 p.136
「ヘーイ ディドゥル ディドゥル/猫がバイオリン/ひっさげて/キーキーキー」
- 寺山修司『マザー・グース 2』新書館、1978(昭和53)年2月 p.8
「猫がバイオリンを弾くと」
- 由良君美『マザーグースのうたがきこえる』ほるぷ出版、1978(昭和53)年11月 p.26
「さあさ うたおう/ネコにヴァイオリン」
- アン・ヘリング『ハンプティ・ダンプティの本』集英社、1980(昭和55)年 p.16
「てれつく てんてん/ねこちゃんの しゃみせん」
- 石川澄子『マザー・グース 1』東京図書、1981(昭和56)年7月 p.82
「ふらりふらふら浮かれた猫が/ヴァイオリンとり弾きだせば」
- 中山克郎『もうひとつのマザー・グース』東京布井出版、1981(昭和56)年9月 p.63
「それゆけ ほい ほい/ねこと バイオリン」
- 百々佑利子『詩とナーサリー・ライム 1』ラボ教育センター、1983(昭和58)年 p.81
「ヘイ ディドル ディドル、/ネコのバイオリンひき、」
- 矢野文雄(藤野紀男)『アガサ・クリスティーはマザー・グースがお好き』日本英語教育協会、1984(昭和59)年7月 p.37
「ヘイ、ディドゥル、ディドゥル/ネコがバイオリンを弾き」
- 渡辺茂『マザー・グース事典』北星堂書店、1986(昭和61)年3月 p.138
「トララララー、/猫とバイオリン、」
- 来住正三『マザー・グースをしってますか?』南雲堂、1988(昭和63)年3月 p.196
「やっこらさっさ、/ねことヴァイオリン、」
- 和田誠『オフ・オフ・マザー・グース』筑摩書房、1989(平成元)年10月 p.4
「ぎこぎこ ごりん/ねことヴァイオリン」
- ぱくきょんみ『月なんかひとっとび』パルコ出版、1990(平成2)年6月 p.9
「チルルル キルルルル/ねこがフィドルひけば」
- ひらいたかこ『ディア マザーグース』架空社、1990(平成2)年6月 p.54
「ヘイ ディドル ディドル/猫とフィドル」
- 鷲津名都江『わらべうたとナーサリー・ライム』晩聲社、1992(平成4)年6月 p.258
「ヘイ ディドゥル ディドゥル/ホラ 猫にヴァイオリン」
- 石坂浩二『石坂浩二のマザーグース』らくだ出版、1992(平成4)年12月 p.19
「ツーレロ ツーレロ ヴァイオリン/猫が奏でる ヴァイオリン」
- 鳥山淳子『映画の中のマザーグース』スクリーンプレイ出版、1996(平成8)年 p.46
「ヘイ ディドゥル ディドゥル/ねことヴァイオリン」
- 寺岡襄『コールデコット絵本名作集』京都書院、1999(平成11)年3月 p.102
「ハアー こりゃこりゃ/猫っこ ギコギコ/ヴァイオリン 奏でりゃ」
- 夏目康子『マザーグースと絵本の世界』岩崎芸術社、1999(平成11)年11月 p.49
「ヘイ、ディドル、ディドル、/猫とヴァイオリン、」
- 山田詩子『ターシャ・テューダーのマザー・グース』フェリシモ出版、2000(平成12)年 p.84
「ギッコギッコリン/ねことバイオリン」
- 河田ヒロ『お砂糖とスパイス マザー・グースの贈りもの』H&I、2005(平成17)年6月 p.40
「ヘイ ディドル ディドル/猫にヴァイオリン」
- 井田俊隆『マザーグースを遊ぶ』本の友社、2005(平成17)年10月 p.110
「ヘイ ポロロン ヘイ ポロロン/にゃんこがヴァイオリン ひいている」
- 楠本君恵『マザー・グースのイギリス』未知谷、2010(平成21)年 p.102
「ヘイ ディドル ディドルと/猫がバイオリンを弾く」
- 蜂飼耳『マザーグースのうた』ポプラ社、2019(平成31)年3月、p.90
「ほら らったった/ねこ ヴァイオリン/めうしは 月を とびこえた」
New!
- 福山裕『マザーグースの唄の世界 「男の子と女の子」&「動物」の唄』デザインエッグ、2021(令和3)年10月、p.116
「ヘイ・ディドゥル・ディドゥル/猫とヴァイオリン」
New!
- 佐藤和哉『〈読む〉という冒険 イギリス児童文学の森へ』(岩波ジュニア新書947)岩波書店、2022(令和4)年2月、p.5
「てぃーら りーら りん/ねこに バイオリン」
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研究論文
- ・安藤 幸江「マザーグースの面白さ 『ネコとバイオリン』の場合」
- たいへんオーソドックスかつ必要十分な、この唄についての検証。まず、18世紀の2つの童謡集(1786,1794)に載った、初期の歌詞を紹介。
次に1行ずつ歌詞の解釈をていねいに行う。「ヘイ ディドル ディドル」では、一般的な解釈を示した後、他のマザーグースの唄における
使われ方を見ていく。「猫とバイオリン」の項では、この唄が初めて活字として出版されたのより100年ほど前に「猫がバイオリンを弾く
イラスト」を掲載した本A Gide for the Child and Youth (1667)が紹介されているのは、驚きである。
※イラストの転載については、安藤先生より画像イメージの提供を受けました。御礼申し上げます。
また、次の行に出てくる「月」と「猫」の関わりについて神話の事例をあげる。
「雌牛が月を飛び越えた」では、多くの画家の工夫のしどころであるとして、いくつかの合理的解決例をあげた上で、
クロウキルのイラストを掲げる。「小犬は笑った」では、近年多くの絵本で、猫には服を着せているが、犬には着せていないと指摘し、
バイオリンを弾くという行為と、笑うという行為における技術の要不要に関係していると見る。「お皿がスプーンと逃げた」では、
『イメージ・シンボル事典』からは、皿が女性、スプーンが男性という解釈になるが、絵本の画家はとらわれないで描いている例として、
ウッドローフとコルデコットのイラストを掲げる。
- ・河崎良二「『えっさかほいさ、牝牛が月を飛び越えた』−『メアリー・ポピンズ』の不思議な世界−」
- イギリス児童文学『メアリー・ポピンズ』に対して著者が感じる「謎」を、第5章「踊る牝牛」を中心に論じて解き明かそうと試みる。
この章では、穏やかな生活に満足していた赤牛が、ある日突然、ホーンパイプ踊りをやめられなくなり、これを止めるために、王様に助言を
求めに行く。王は牝牛の角に星が刺さっていることに気がつくが、廷臣たちがいくら引っぱっても星ははずれない。王がお抱え学者に
百科事典をひかせると「月を飛び越えた牝牛の話が出ているだけ」だという。そこで王は牝牛に「月を飛び越えてみることだ」と助言する。
牝牛が思い切ってやってみると、星が角からはずれ、元の生活に戻れるが、今度はあの踊っていたときの楽しい気分が忘れられず、また
星を探しに出かけていく。
著者は、「赤牛は私たちそのもの」であり、赤牛は「時間と空間の中に落下してきた神話」なのだという。作者
トラヴァースの「妖精物語とは、『時間と空間の中に落下してきた神話』ともいえるでしょう。」という言葉を引き、赤牛のエピソードを、
現実の中に神話が生きているというトラヴァースの表現だと解きほぐす。
- ・西脇 由利子「Mother Goose絵本における月の図像の変遷について--"Hey diddle diddle…"の場合」
- イギリスのマザーグース絵本62冊、日本のマザーグース絵本80冊に掲載された"Hey diddle diddle…"の唄における「月」の描かれ方に
注目し、東西の文化背景が「月」の描き方にどのように現れているかの比較を行う。
著者は、『イメージ・シンボル事典』の「月」の項の記述を引用し、ヨーロッパでは月が悪天候や不運の前兆とみなす
民間伝承があることを紹介。アルフレッド・クロウキルがNursery Rhymes No.3 (1865)で描いたような「両端が天頂を向いている
新月」は洪水か旱魃の前兆だという記述も示し、クロウキルの月が鎌のように牝牛の腹にはまり込んでいると指摘する。また、満月の光を
あびて眠ることが「狂気」を招くという俗信も紹介し、イラストの中でも満月をあらわに描かず、一部を雲や物体で隠す傾向を指摘する。
一方、日本では、豊年祭と結びついた、満月を愛でる「お月見」の風習が示すように、月に愛着を感じ、霊力のある存在として
とらえる感性が培われている。月の光へのタブーもないので、満月への親しみから、丸い月で、登場人物の影の光源として描くものが多い。
しかし、大正14年(1925)に出た、松原至大訳の『マザアグウス子供の唄』(宍戸左行装丁)では、三日月が描かれ、衣装を着た猫など
古い英米の絵本の影響が感じられるとする。このイラストは、戦後直後の子ども向け雑誌『赤とんぼ』1巻3号(昭和21年6月)に転載され、
これを見たという和田誠のイラスト(講談社文庫)にはその影響が見える(三日月、後ろ向きの皿とスプーン、後足で立つ犬)という指摘は、
新しい発見だった。
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引用とパロディー
- ・エドワード・D. ホック作「ネコにヴァイオリン」(『ネコ好きに捧げるミステリー』p.243ほか,
光文社文庫、1990 収録)
原作:The Cat and Fiddle Murder, by Edward D. Hoch, (c)1982
- <引用文・邦訳より>
「誰が動物の世話をするのですか?」ギデオン・パロが、午後の食事を満喫しているらしい大きな虎を見つめたまま、尋ねた。
「常勤の飼育管理人がおりますわ。名前はトウパー。のちほど、ご紹介しましょう。彼は……」ロウイスはギデオンの視線を追って虎を
ながめながら、途中で言葉を切った。「まさか! あの虎の飼育場に人が倒れているみたい!」
(中略)
飼育管理人とおぼしき作業衣姿の大柄な男が、ロウイスの求めに応じて走ってきた。彼が飼育場に梯子をおろしているとき、
ギデオンがわたしをわきへ引っぱって、近くの木に留めつけられた大きな紙を指さした。その紙には大きな字で、なつかしい言葉が書いてあった。
“ハイ・ディドゥル、ディドゥル、猫にヴァイオリン、”。
<ストーリーとコメント>
殺人や犯罪が行われたところに、この唄が1行ずつ引用されたメモが現われるという趣向になっています。引用文献の形が
少し古いようですが…。1行目“High, diddle, diddle, the Cat and the Fiddle”では、ヴァイオリニストが殺されて虎のオリに
入れられています。2行目“The Cow jumped over the Moon;”では、ルーン(フランス語で月という意味)という男が殺されて牝象
(これを牝牛に見立てた)のオリに入れられます。3行目“The little Dog laugh'd to see such Craft”では、物語の舞台である島の
唯一の交通機関のボート(船にはクラフトという言い方もある)が沈められています。そして、島内の人々はSpoonとDishが誰を指すか、
議論になります。探偵役のギデオン・パロは、図書館で『オックスフォード伝承童謡辞典』を調べます。
(『マザーグース研究会会報』55号(1993.1) p.3より、一部修正引用)
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